本ゲームでは高速移動やイベントシーンなどのローディング中に右下に様々な情報が表示される。
ゲーム操作やシステムに関するものから歴史的小ネタなどその範囲は多岐に渡る。
ディスカバリーツアーでは本編で見られない膨大なTipsが追加されている。
PC版では「Q」「E」で別のTipsを読むことが出来る。
※句読点などは一部改正
「Alt」で壁を登り、「C」で降りる。
壁を登りながら「Alt」を押すと背後の壁か足場に飛び移る。
足場のへりまで来てもバエクが下に降りない場合は、「Alt」で飛び降りよう。
だが、このジャンプは危険を伴うこともあるので注意が必要だ。
暗い場所にいる時は「1」を長押しして松明を取りだせば、役に立つ。
十分な水深がある場合は「C」長押しで水中に潜れる。
セヌを使ってエリアを偵察しよう。
文字通り鳥の視点で周囲を見るには「V」を押す。
ワシを使う、またはワールドマップを開いてマーカーを設置した後、
乗り物に乗って「X」を長押しすると
移動を任せてマーカーの位置に向かわせることができる。
乗りながら「X」を長押しすると騎乗動物に操作を任せられる。
騎乗動物はワールドマップに設置されたマーカーを目指して道なりに進む。
「夜明けと夕暮れ」は夜から昼へ、昼から夜へと時間を早送りさせられる。
「M」長押しで実行できる。
装具ページから「L」で、すべての武器パラメータの詳細を確認できる。
アクションに2つのキーの組み合わせを割り当てるには、
キー割り当てメニューで設定したいアクションを選び、
最初のキーを長押し後、2番目のキーを短く押す。
「Shift」+「F2」でUplayのオーバーレイを開きます。
アニムス操作パネルにアクセスすることで、移動速度や戦闘の設定など、
ゲームプレイのパラメータを変更できます。
「Shift」+「F2」でアニムス操作パネルを開き、
操作プレイヤーをアブスターゴ兵に変更します。
アニムス操作パネルのアサシン設定でキルを変更します。
(Uplayのオーバーレイ:「Shift」+「F2」からアクセス)
たとえ万能なメジャイであっても暗闇で物を見るのは困難だ。
携行している松明で周囲を照らそう。
使える船が見つからない時は一般市民の船を借りよう。
警備兵から距離を置こう。
彼らはあなたを狙っている強力な賞金稼ぎで見つけ次第攻撃してくる。
戦象は非常に手強い敵だ。
最高の実力者だけが、倒せる可能性を秘めている...
マスターアビリティは繰り返し習得できる。
さらなる高みを目指そう。
真の試練を欲するならば、難易度「ナイトメア」モードに挑戦しよう!
このオプションはオプションメニューのゲームプレイセクションから変更できる。
「敵レベルの自動調整」にすると、レベルの低い敵が自動的にプレイヤーと同等のレベルになる。
「ラクダのマーク」でレダに会い、デイリークエストを完了するとヘカの箱を受け取れる。
撮影した写真はコミュニティ全体で共有される。
ワールドマップ上で共有されている自分の写真にフィルターをかけられる。
レイラはアニムス操作パネルをハックしたことで、
シュミレーションを開始して様々な出来事を体験できます。
クールなアイテムで更に楽しみたいならストアでユニークな衣装、武器、乗り物を購入しよう。
ポーズメニューからアクセスできる。
ピラミッドを滑り降りたことがないなら
ぜひとも挑戦してみるといい。
時々セヌに褒美を与えよう。
彼女の懸命な働きは称賛に値する。
(注:ゲーム内で褒美を与える機能はない)
小ファノスは紀元前300年の詩人グループ「アレクサンドリアの詩人」の大ファンだ。
歴史調査部門はフィラデルフィアに拠点を置いている。
人類の歴史を分類保存するため、彼らはデータを探し出し分析している。
だが裏では、アブスターゴの秘密の計画を推し進めるための重要な情報を供給している。
第1中間期にはわずか121年の間に4つの王朝から140人の統治者が誕生した。
(注:紀元前2180年頃~紀元前2040年頃)
第2中間期も第1中間期とほぼ同様で、
1世紀と少しの間に3つの王朝から160人を越える統治者が出た。
(注:紀元前1782年頃~紀元前1570年頃)
ハトシェプストはエジプトで最初の女性ファラオだ。
彼女の治世に征服はなくエジプトは繊細な芸術と優雅な神殿という新たな恩恵を育むことができた。
(注:セベクネフェルという女性ファラオが300年ほど前にごく短期間存在していたことはある。
3年ほどの在位で記録もほとんど無いため実質ハトシェプストが最初といっても過言ではない。)
アメンホテプは一神教、唯一の神への信仰をもたらした。
だが、この革命的は運動は短命だった。
エジプト人が地下に隠れて神々を祝福する必要があったからだ。
(注:アメンホテプ4世によるアマルナ改革のこと)
ラムセス2世は100人以上もの子供を作り、そのうち50人以上が男子だった。
末期王朝時代にエジプトを支配したペルシア人たちは、アレクサンドロス大王という強敵と出会った。
彼は救い手として歓迎され、ファラオと宣言された。
物語などでは、アレクサンドロス大王の母がヘビと交わったとされている。
アレクサンドロスが神官に尋ねた時(賄賂を渡した後)、ゼウスの息子だと告げられたとも言われている。
その墓は未だ発見されておらず、現代に至っても探し続けられている。
墓の正確な場所の推測は古代アレクサンドリアの地図から生じている。
エジプト最後の王朝は、アレクサンドロス大王の将軍であったプトレマイオス1世ソーテールによって築かれた。
プトレマイオス1世ソーテールにより紀元前350年に建国されたプトレマイオス王国は強大な王朝で、
現代のリビアからレバノン、スーダン北部にまで広がっていた。
ドラクマのコインにはゼウスのワシが刻印されている。
クレオパトラの父、プトレマイオスは
自らを「新たなディオニュソス」と称した。
しかし、アレキサンドリア人は彼を「隠し子」や、
笛を好んだことから「アウレテス(笛吹き)」と呼んだ。
クレオパオラの父、プトレマイオス・アウレテスは偉大なるポンペイウスと同盟を組んだ。
しかし、クレオパトラが王位に就いた時、ユリウス・カエサルが内戦でポンペイウスの軍を破った。
クレオパトラの世話は乳母が行い、彼女の離乳食は召使が予め噛み、毒見係もいたと言われている。
クレオパトラは贅沢な宴会を催し、
招待客は馬や高価な贈り物を期待していた。
クレオパトラというギリシャ語の名は「父の栄光」を意味する。
ブルタルコス、クレオパトラが9ヶ国語以上を話すことができたと主張した。
後の歴史家たちが、クレオパトラを性的捕食者と(またはもっと酷く)評するにも関わらず、
ユリウス・カエサルと出会った時の彼女には性的な経験がなかったようだ。
クレオパトラの時代、歴史と神話は混ざり合っていた。
スパルタではオルフェウスの竪琴を眺め、トロイのヘレンが生まれたとされる卵が見られた。
イーリアスは他に類を見ないほどクレオパトラの世界に浸透していた。
この時代に最もよく知られたフィクション作品だ。
(注:アキレウスを中心にトロイア戦争の激動期を描く古代ギリシャの作品)
ピラミッドの建造からクレオパトラの治世までには、
彼女の時代から現代までよりも年月の隔たりがある。
「人は友と協力しあう時よりも、彼らの敵と戦う時の方がさらに熱心に働く」
アレクサンドリアは紀元前331年にアレクサンドロス大王により建設された。
アレクサンドリアは約1000年もの間エジプトの首都だった。
アレクサンドリアには神殿、劇場、博物館、図書館が溢れていた。
アレクサンドリア図書館は、およそ4万から40万もの巻物を所蔵していた。
現在のアレクサンドリア図書館には1996年のインターネット開始以来の
ウェブサイトのページのコピーが全て保存されている。
アレクサンドリアに入る全ての船に対して本の捜索が行われていた。
本は書き写され図書館の蔵書となることが頻繁にあった。
時には写しが返され、原書が図書館に保存されることもあった。
アレクサンドリア人は自分達の街に情熱を注いでいて、
同意できないファラオの判断に対して、しばしば公然と非難した。
アレクサンドリアの灯台は、別名ファロスとしても知られる世界七不思議の1つだ。
ファロスは建設に12年かかり、大部分が石灰石で建てられた。
海洋考古学者のオナー・フロスト率いるチームが
1968年に発見するまでファロスは忘れられていた。
世界七不思議の2つである、ギザの大ピラミッドとアレクサンドリアの灯台はエジプトのものだ。
古代の文書によると、神々の像は頷いたり話すことができ、
王立裁判所では裁判官を務めていたと伝えられている。
花崗岩は最も硬い岩の1つで、要所で使用されていた。
大ピラミッドは元々花崗岩で覆われていた。
花崗岩を彫って作られたオベリスクは総重量で何百トンにもなる。
ピラミッド建築のブームは古代王朝の時代、
紀元前2686年から紀元前2181年の間に起こった。
エジプト人は凧を利用して建設用の石材を持ち上げ、ピラミッドの頂上まで運んだ。
神々に受け入れてもらえるようにミイラは香水で清められた。
来世で再生するためには、肉体は無傷でなくてはならなかった。
ミイラ化のプロセスはおよそ40日から70日に及ぶ。
そして乾燥させるため最大272キログラムのナトロンが必要とされた。
死者の魂は昼間は外に飛び出し、夜にはミイラ化された身体に戻ると考えられていた。
エジプト人はミイラ化した体が失われることを恐れ、
スペアとして蜜蝋製のミニチュアモデルを制作した。
ピラミッドによってギザ高原は死者の街となった。
女王や王女のための小さなピラミッドだけではなく、そこら中に墓が作られた。
トトメス1世は、テーベからナイルを渡った先の小さな谷に墓を隠すことで
墓荒らしを防ごうと試みたが長くは続かなかった。
ツタンカーメンの短剣には、隕石の鉄で作られた刃がついている。
神官の階層によって運営された聖なる街は商売のための街だ。
巡礼者たちはタカやワニといった小型のミイラ化された動物を購入して土産にした。
メンフィスのような都会の地域の家は上に向かって建てられた。
時には4階建てになる家もあった。
シルフィウムは数多くの医療的特性で知られているが、
避妊薬としての用途が最も一般的だった。
戦車は中東支配におけるエジプトのライバル、
ヒッタイト人によってもたらされた。
ドアや足場のような木製の素材は全て取り外して別の場所で再利用されるため、
建物が放棄される際には、木材がほとんど残らなかった。
泥は好ましい建築材料だった。
太陽に当てると簡単に焼けて硬くなりレンガになったからだ。
さらに頑丈にするために藁が混ぜられていた。
エジプトはインドを相手に利幅が大きい
絹、香辛料、象牙および象が、紅海やキャラバンルートを渡って交易された。
エジプト人は、猫を聖なる存在だと信じていた。
傷つける者は誰でも災いと見なした。
農民にとって最も重要な動物は羊だった。
年に2回毛を刈れて、ミルクは牛のものより好まれた。
妊娠検査として高級なより糸が女性の首に結び付けられた。
ホルモンの変化によって甲状腺が肥大し、女性の首が太くなると糸が千切れるからだ。
子供を持つということは、死を克服する1つの方法だった。
子供たちが両親の墓を守るからだ。
古代では、男女どちら側からでも離婚を言い出すことができた。
理由を告げる必要もなかった。
ヘロドトスは次のように信じていた。
「エジプトでは女性が商売をする一方で、男性は家にいて織機に向う。」
「女性は立って男性は座って排尿する。」
エジプト人は片方の肘にもたれて食事をしていた。
イスや長イス、その他の家具は食事中には使用されなかった。