【戦国無双5】無双武将『織田信長』のプロフィール・性能などを掲載しています。
織田家の若き当主。
不遜な態度と、奔放で破天荒な振る舞いから「尾張のうつけ」と呼ばれていた。
様々な出会いと別れを経て、乱世の理を壊し、天下を一新するべく一歩を踏み出す。
本作でも織田家当主とされるが正確には織田弾正忠家の嫡男であり、尾張守護代織田家の家老筋。
父、信秀の代より守護代の織田家とは国内抗争を繰り返し、尾張国主斯波氏の後援を受けて尾張統一戦争で守護代の織田家を滅ぼした。
史料「信長公記」によれば、信長が第六天魔王と称される既得権力の全てを否定した傍若無人な人物ではない。
また数多いた兄弟姉妹に対して残忍だったかというのも異なり、本作の解釈でも二度背いた弟・信行の死を長らく悲しみ、妹・お市の運命についても同情的ですぐに再嫁させず、9年間は弟・信包の許に預けている。(お市が再嫁するのは信長死後の「清洲会議」の決定による)
むしろ庶兄弟の死に憤り、それが「長島一向一揆」など仇討ちとして苛烈になっている。
丹羽長秀の祐筆だった太田牛一の「信長公記」はあくまでも陪臣として丹羽長秀の家臣だった太田牛一の知る範囲の信長でしかない。
また「信長公記」には庶民の人気取りに腐心し、落成した安土城を庶民に見物させていた様子や、「相撲」や「馬揃え」といった庶民の娯楽となるイベントを主催したお祭り好きの陽気な人だったというのもまた事実のよう。
なにより一般庶民を苦しめる既得勢力と化していた比叡山に対して苛烈な焼き討ちを実施し、一向一揆に対しては「一人残らず壊滅させる」という苛烈な手段をとった。
浅井朝倉を滅ぼした後、久政・長政親子と朝倉義景の頭蓋骨を金箔で覆い、盃として饗宴を催したのも「敵対勢力への敬意」によるものだという解釈もある。
キリスト教徒であるルイス・フロイスの指摘した無神論者でなどなく、熱田などで戦勝祈願もしており織田弾正忠家がもともと神主の家系であることから今で言う「神道」だったよう。
現代の常識や価値観では測ることの出来ないスケールの大きな人物だったというのが確かな話だが、革新的だったかについては最新の研究では否定されている。