#description(【戦国無双5】のキャラクター「毛利輝元」のプロフィール・性能などを掲載しています。) #title(【戦国無双5】毛利輝元のプロフィール・性能) >【戦国無双5】固有武将『''毛利輝元''』のプロフィール・性能などを掲載しています。 #contents RIGHT:【[[キャラクター一覧]]】 *基本情報 |>|CENTER:150|c |>|&attachref(毛利輝元.jpg,,50%);| |~名前|~CV| |[[毛利輝元]]|[[小野将夢>https://h1g.jp/actor/a/masamu-ono.html]]| |>|~得意武器| |>|[[薙刀]]| >毛利元就の孫。&br;早逝した父に代わり、若くして当主の座に就く。&br;自分を育ててくれた祖父・元就を敬愛しており、元就のような立派な当主になるべく日々努力を欠かさない。 祖父・元就の死後、両川体制に支えられ若き当主となった隆元の嫡男。 しかし、羽柴秀吉の「中国征伐」により毛利は次第に劣勢に陥り、従属していた宇喜多も独立して秀吉に味方する。 備中高松城が水攻めに遭う中、外交僧・安国寺恵瓊の提言で秀吉と和睦。 これは「本能寺の変」を知った秀吉による「中国大返し」の伏線だった。 しかし、毛利には「変」を知っても秀吉の後背を突く余力はなく、信長の継承戦争を戦う秀吉を日和見する。 新たな天下人となった秀吉に臣従し、滅亡寸前の窮地を脱した毛利輝元は「九州征伐」の功績で再度大勢力となるが、吉川元春、元長親子の相次ぐ病死と引き換えだった。 両川体制の事実上の崩壊。豊臣政権に組み込まれた毛利家に対し、秀吉は乗っ取りを仕掛け宗家にかわり小早川隆景が秀吉の甥、秀俊を小早川秀秋として迎え入れる。 二度の朝鮮出兵で疲弊した毛利は秀吉の死後、五大老筆頭・徳川家康に切り崩される豊臣家臣団を前田利家、上杉景勝と共に支える。 そうして毛利輝元は五奉行の任を解かれ佐和山城で隠棲していた石田三成の要請で家康を討つ西軍総大将を任される。 四国に兵を繰り出した毛利輝元だが、幼少の豊臣秀頼を頭に頂く目論見は外れ、大坂城で秀頼を後見し、秀元を総大将として関ヶ原に派遣。 だが、吉川広家や小早川秀秋は家康に調略されており、相次ぐ裏切りで「関ヶ原の戦い」は東軍の大勝利となる。 敗軍の総大将となった輝元だが、責任を問われたのは安国寺恵瓊で家康から長門一国での存続を認められる。 *使用可能条件 -第五章:光秀編 [[上月城の戦い(毛利軍)]]をクリア *神速 *閃技 *キャラクター一覧 |>|>|CENTER:100|c |>|>|BGCOLOR(#c6e2ff):&size(14){''無双武将''};| |[[織田信長]]|[[明智光秀]]|[[羽柴秀吉]]| |[[徳川家康]]|[[今川義元]]|[[武田信玄]]| |[[上杉謙信]]|[[毛利元就]]|[[浅井長政]]| |[[松永久秀]]|[[濃姫]]|[[みつき]]| |[[前田利家]]|[[柴田勝家]]|[[お市]]| |[[斎藤利三]]|[[山中鹿介]]|[[竹中半兵衛]]| |[[黒田官兵衛]]|[[中村一氏]]|[[瀬名]]| |[[本多忠勝]]|[[服部半蔵]]|[[百地三太夫]]| |[[小早川隆景]]|[[雑賀孫市]]|[[弥助]]| |>|>|BGCOLOR(#dcdcdc):&size(14){''固有武将''};| |[[織田信行]]|[[岡部元信]]|[[武田勝頼]]| |[[吉川元春]]|[[毛利輝元]]|[[斎藤道三]]| |[[斎藤義龍]]|[[朝倉義景]]|[[足利義昭]]| |[[三淵藤英]]|-|-| IP:10.0.0.183 TIME:"2022-01-25 (火) 01:23:33" REFERER:"https://h1g.jp/sengoku5/" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/97.0.4692.71 Safari/537.36"