朝倉義景
【戦国無双5】固有武将『朝倉義景』のプロフィール・性能などを掲載しています。
基本情報
越前を治める大名。
戦国の世にありながら戦を好まない平和主義者。
越前の安寧を守ることを最も優先し、天下取りに興味を示さない。
流浪の身の光秀を客将として迎え、一時期を共にする。
朝倉氏は足利幕府の北の要として「応仁の乱」においても活躍した名門大名家。
しかし、応仁の大乱により足利幕府の権威は失墜し、戦国乱世に突入する。
内紛を繰り返した足利将軍家への忠誠は次第に薄れ、越前は北の加賀一向一揆から圧迫されるようになる。
朝倉義景は父・孝景の死で16歳で当主となり、有能な朝倉宗滴に補佐される。
しかし、義景の舅たる細川晴元は三好長慶に追放され、将軍家と三好勢の対立は激化し、将軍義輝は三好松永に殺害される。
義輝の弟、義昭を庇護するものの「新将軍として上洛させる」という大役は果たされなかった。
かわって義昭を上洛させ、畿内支配していた三好六角を追いやった信長に主導権は移行。
しかし、新将軍義昭は兄を死に追いやった三好松永との抗争を繰り返し、信長の諫言を容れない。
信長不在の隙をつかれた義昭は三好六角勢に囲まれ、信長の援軍によりどうにか危機を脱する。
だが、細川藤孝、松永久秀ら足利有力家臣は義昭を見限り、藤孝の兄・三淵藤英も信長に臣従するが処断される。
信長は畿内争乱の元凶となった義昭を京から追放。すると信長を危険視する朝倉義景は浅井長政と結んで対立。
しかし「姉川の戦い」で浅井朝倉連合軍は織田徳川連合軍に大敗を喫する。
朝廷の仲介で一度は矛を収めたものの、比叡山に拠って信長に抵抗し、これに激怒した信長は比叡山を焼き討ちする。
浅井長政は義昭の「信長包囲網」により武田信玄の上洛と呼応する。
信長は長政の小谷城を包囲し、朝倉義景は2万の軍勢で救援に向かうも武田の撤兵で形勢不利と見做して退却。
信長は先に朝倉義景を討つべく追撃戦を展開し、義景は自刃した。
重大な決断局面で日和る傾向のあった朝倉義景は最期は従兄弟の朝倉景鏡からも見放され、10代を誇った朝倉家は滅亡した。
本作では美濃を追われた光秀が身を寄せ、信頼も寄せるが「平和主義者」ではなく若狭・武田氏を隙を突いて虜囚にするなど悪辣な面もある。
使用可能条件
- 第四章:光秀編 刀根坂の戦いをクリア
神速
閃技
キャラクター一覧
無双武将 | ||
織田信長 | 明智光秀 | 羽柴秀吉 |
徳川家康 | 今川義元 | 武田信玄 |
上杉謙信 | 毛利元就 | 浅井長政 |
松永久秀 | 濃姫 | みつき |
前田利家 | 柴田勝家 | お市 |
斎藤利三 | 山中鹿介 | 竹中半兵衛 |
黒田官兵衛 | 中村一氏 | 瀬名 |
本多忠勝 | 服部半蔵 | 百地三太夫 |
小早川隆景 | 雑賀孫市 | 弥助 |
固有武将 | ||
織田信行 | 岡部元信 | 武田勝頼 |
吉川元春 | 毛利輝元 | 斎藤道三 |
斎藤義龍 | 朝倉義景 | 足利義昭 |
三淵藤英 | - | - |
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