呉の将。合肥の戦いの際、魏の将・楽進の攻撃を食い止め、孫権を護衛したが、同じ魏の将・李典に射抜かれ、討死する。方天画戟の使い手としても知られる。正史においては、孫堅・孫策・孫権の三代にわたって長く呉に仕え、夷陵の戦いなどでも戦功を立てたという。