後漢の中山太守。涼州の反乱鎮圧を巡る朝廷の対応に不満を持ち、張挙や丘力居らと結んで反乱を起こした。自らを「弥天将軍・安定王」と称して青州・冀州など各地を蹂躙するが、敗れて逃亡。最後は食客の王政によって殺害され、劉虞の元に首が届けられた。