後漢の陳留太守・張邈の弟。兄とともに反董卓連合軍に参加した。のちに曹操が陶謙を討つため徐州に遠征すると、兄や陳宮と共謀し、呂布を盟主として招き入れて反乱を起こす。しかし曹操の反撃を受け、自害した。
字は子並。河間の人で、張邈の弟の帳超とは別人。車騎将軍・朱儁の別部司馬として仕え、黄巾党の討伐に従軍するのみならず、袁遺などの人材を推薦している。また、後漢末に書家・文人として多くの賦や頌を残し、厳格な書風で知られた。