字は子源。広陵太守・張超に仕え、後に袁紹に伝えた。張超が曹操軍に包囲されると、旧主に報いんと救援の許可を求めたが袁紹は認めず、これを恨んで叛く。袁紹は臧洪の才を惜しみ、城を包囲して降伏させんとしたが、兵糧が尽きても、袁紹の前に引き立てられても屈さなかったため、やむなく処刑した。