袁術の子。袁術が皇帝を僭称すると皇太子に立てられた。袁術死後は盧江太守の劉勲を頼る。孫策が魯江を攻め取るとその庇護を受けた。その後、袁術の娘が孫権の後宮に入ると、郎中に任ぜられた。後漢書袁術伝では「袁曜」とする。