字は子将。汝南郡の人物批評家。貴賤を問わず忌憚のない評価を下すことで高名で、若き日の曹操を見て「治世の能臣、乱世の奸雄」と評した。正史では、許靖の従弟とされる。毎月初めに恒例の人物批評をし、「月旦評」の言葉の由来になったという。