字は奉孝。魏の臣。程昱の推挙で曹操の軍師となり、際立った知略と判断力を評され厚く信任された。呂布討伐戦や袁紹との戦いで、常に的確な助言を行い勝利に貢献するが、袁家の残党を追撃し、烏丸を征伐する途中、病を得て世を去る。のちに赤壁で惨敗した曹操は「郭嘉がいたなら結果は違った」と嘆いたという。