字は公業。後漢の臣。才知に長け、広く名声が知れ渡っていた。何進が董卓を洛陽に招いた時には、董卓の本性を見抜いて止めようとしたが、諫言は容れられなかった。後に荀攸らと共に董卓の打倒を試みるが、失敗。辛くも長安を逃れる。後に袁術により揚州刺史に取り立てられるが、赴任先への道中で病没した。